旋律【原稿用紙一枚の教養#0012】


※『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』の各ページを400字程度で要約しています。

第2週第5日(金)
12 音楽
旋律

旋律は、メロディーと呼ばれることも多く、一つまたは複数の楽器で演奏され、いくつもの音を、美しく響くように並べたものだ。和声(ハーモニー)とリズムと並んで、音楽の三要素の一つと考えられている。

並べられた音は、ある種の一体感、つまり、まとまっているような感じを作り出す。旋律と和声の違いは、旋律では個々の音が一つひとつ順に演奏されるのに対し、和声では複数の音が同時に演奏さる点にある。

旋律の定義は時代とともに広がり、一昔前の作曲家なら大胆だと思ったり耳障りだと感じたりするような音の並びも含まれるようになった。モーツァルト、シューベルト、シベリウスの三人は、旋律作りの天才と言われている。

旋律は、楽句(フレーズ)と呼ばれる短い単位に分割される。楽句の最後に来る区切りを、終止(カデンツ)という。通常はいくつもの楽句が集まって旋律の全体構造を形作っていて、それぞれの楽句が質問と回答のやり取りをしているような印象を与えることが多い。旋律の一部分が主題を提示し、別の部分がそれを完結させるのだ。

【アタクシ的ポイント】
音楽の三要素ということだが、旋律(メロディー)が一番、普遍性の高い気がする。


エラトステネス【原稿用紙一枚の教養#0011】


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第2週第4日(木)
11 科学
エラトステネス

古代ギリシアの学者たちの多くが「世界は丸い」と考えていた。前3世紀になるとアレクサンドリア図書館の館長エラトステネスが、地球の大きさを測る方法を思いついた。

エジプトのシエネという町の近くに、夏至の正午になると、太陽が真上に来る井戸があった。一方で、その真北にあるアレクサンドリアでは、太陽光は斜めにさすに違いない。太陽が真上からずれている角度を測れば、地球の大きさを推定できるかもしれないと考えたのだ。

エラトステネスは、影の角度が、ふたつの町を地球の中心と結んだときにできる角度と等しくなることを知っていた。計測した角度を360度で割って、ふたつの町の距離が地球全周の何分の一になるかを計算した。その答えは50分の1。シエネとアレクサンドリア間の距離を50回歩けば、地球を一周したことになるわけだ。

あとは、ふたつの町の距離を正確に測って、50倍するだけ。エラトステネスは地球の全周を3万9700キロと推定した。今日も、2000年前にエラトステネスが考案したのと同じ原理が使われており、最新の装置で測定した結果、赤道の全周は4万75キロと推定されている。

【アタクシ的ポイント】
エラトステネスは「ベータ(=二流)」というあだ名をつけられていたそう。前人未踏なこと、イノベーティブなことをすると、かえって認められなくなるのではないか。


小説を読むこと【1000のカスタネット#0010】


なぜ小説を読むのか。もちろん、理由は人それぞれではあろうが、私にとっては物語の中に居合わせるため。小説で描かれる舞台が奇想天外な世界であれ、時代や国が違っていたとしても、その中で呼吸したいと思っている。遠くからスクリーン上に映る誰かの営みを眺めることではないのだ。


ネフェルトイティの胸像【原稿用紙一枚の教養#0010】


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第2週第3日(水)
10視覚芸術
ネフェルトイティの胸像

ネフェルトイティの胸像は石灰岩製で、1912年にドイツ人考古学者ルートヴィヒ・ボルハルトによって、現エジプトの町アマルナ近郊で発見された。ネフェルトイティは、エジプトを紀元前1353年から前1335年まで支配したファラオ、アメンヘテプ四世の王妃である。

この胸像は、約3400年前に作られたもので、高さは約50センチある。発見時には、わずかに両方の耳たぶが欠けているだけのほぼ完全な状態だった。ただ、左目がはめ込まれていた形跡がなく、どうやら未完成だったようだ。胸像が王妃に似せて作られたのか、それとも理想的な美の姿を造形したものなのかは、今も判明していない。

胸像は、現在ベルリンの新博物館で見ることができる。これは今なお、エジプト美術で最も知られている作品の一つであるだけでなく、女性美の一つの典型でもあり続けている。そう考えると、ネフェルトイティという名前も新たな意味合いを帯びてくる。彼女の名を訳せば、「美しい者が来た」になるからだ。

【アタクシ的ポイント】
「ネフェルトイティ」という名前だが、「ネフェルティティ」の方が一般的なよう。

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アーネスト・ヘミングウェイ【原稿用紙一枚の教養#0009】


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第2週第2日(火)
9 文学
アーネスト・ヘミングウェイ

20世紀のアメリカ人作家の中で、アーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961)ほど影響を与え、模倣された者はいないだろう。ヘミングウェイは、イリノイ州オークパークの生まれ。第一次世界大戦にも従軍し、戦後はガートルード・スタインら、いわゆる「失われた世代」とともにパリで数年を過ごす。

この時期、トレードマークとなる文体を完成させた。反復を多用しつつ、無駄を削ぎ落として、男らしさを意図的に前面に出し、単純そうな見掛けの裏に真意を隠す散文体だ。

最初の本格的長編小説は、『日はまた昇る』(1926年)。続けて、『武器よさらば』(1929年)や『誰がために鐘は鳴る』(1940年)を発表する。特に『誰がために鐘は鳴る』の主人公は、「ヘミングウェイのコード・ヒーロー」と呼ばれる人物の典型例になっている。

一部にヘミングウェイの作品はマッチョ気取りだと批判する批評家もいたが、中編小説『老人と海』(1952年)ではストーリーテラーとしての力量がいかんなく発揮された。この作品で、1954年にノーベル文学賞を受賞。その一方で、晩年は鬱状態と健康の衰えに悩まされ、結局1961年、ショットガンで自ら命を絶った。

【アタクシ的ポイント】
「ヘミングウェイのコード・ヒーロー」とは、人生に幻滅していてストイックで、暴力や逆境に直面すると自分の掟に従って気品と高潔さを発揮する男性だそう。


ハンムラビ法典【原稿用紙一枚の教養#0008】


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第2週第1日(月)
8 歴史
ハンムラビ法典

ハンムラビは、現在のイラクにあった古代文明バビロニアの王。紀元前1792年から前1750年まで統治した。彼は史上はじめて法律を制定し、国民が守るべき規則と、法を破った者が受ける罰を明確にした。当時、ほとんどの社会は独裁的な支配者が好き勝手に支配していたため、法律がすべての人に適用されるという発想自体が、前代未聞だった。

ただし、法典そのものは現代の感覚から見ると非常に残酷である。些細な法律違反でさえも死刑と定めていたからだ。居酒屋に入った女、逃亡奴隷をかくまった者、「正当な理由」なく夫の元を去った妻は、すべて死刑の対象だった。

王の書記官たちは、この法典を正義の神に捧げた黒い石柱に刻み、広く国民に知らしめた。碑文でハンムラビは、「将来の全世代の人々」にこの法律を順守するよう命じ、「私が与えた国法を変える」ことを禁じている。また、将来の王たちは一時の感情に従って統治するのではなく、法の支配を守らなくてはならないとも述べた。

法律を為政者が勝手に変えてはならないという考えは、革命的な発想。法の支配を尊重する態度は、今も優れた政府に欠かせない基本的な特徴のひとつであり続けている。

【アタクシ的ポイント】
世界最初の法律としか知らなかったが、約4000年前の考え方が現在と通じる部分もあったのには驚き。


留守がちな目的【1000のカスタネット#0007】


目的は、得てして不明確になりがちだ。ある目的のために始めた行動であっても、行動自体が目的化されてしまい、そもそものきっかけや行き先があいまいになってしまうからだろうか。

目的を見失わない姿は、いつも根拠を求める哲学的探求に似ているかもしれない。事象たらしめる源泉にさかのぼり続け、現象の根本原因を見出そうとしているからだ。


トーラー【原稿用紙一枚の教養#0007】


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第1週第7日(日)
7 宗教
トーラー

トーラーとは、ヘブライ語の聖書の冒頭にある「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の五つの書、いわゆるモーセ五書を指す名称だ。キリスト教徒は、この五書に他のユダヤ教文書を加えたものを、旧約聖書と呼んでいる。また「トーラー」という語は、口伝のほか数点の文書で伝えられている膨大なユダヤ教の律法全体を指すこともある。

モーセ五書は、ユダヤ教信仰を規定する613の律法の根拠であり、世界三大一神教すなわちユダヤ教、キリスト教、イスラム教の基礎である。この五書は、伝統的にはシナイ山でモーセに授けられたと信じられてきた。また、トーラーの冒頭部は確かにシナイ山で授けられたが、その後も啓示はモーセの生涯を通じて続いたとする説もある。

トーラーは紀元前10世紀から前6世紀の間に書かれたものだと考えられている。トーラーは当初、口伝で伝えられてきた。トーラーを完全に理解するためである。口伝の内容を書きとめることは、冒瀆行為と考えられていたが、文字で記録する必要性がやがて明らかとなり、口伝律法の集大成ミシュナーが編纂された。

【アタクシ的ポイント】
完全に理解するために口伝が用いられてきた、というのは当時らしいとはいえ印象的。


子どもたちの思考【1000のカスタネット#0006】


子どもたちの思考の連続は、われわれの常識に捉われていない。

その瞬間に思い着いたこと、気になることに着目し、次から次へと口に出していく。悪く言えば、五月雨で非論理的な思惟の連なりである。

だがかえって、その方が、聞かされる側も興味をそそられる。どうして思い着いたのか、どんな理由で気にしているのか。なぜ彼女は、オナラした人を特定しなければ気がすまないのか。

逆から言えば、常識的な思考は慣れ親しんでいるがゆえに、その動機付けに無頓着になるのかもしれない。


現象と実在【原稿用紙一枚の教養#0006】


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第1週第6日(土)
6 哲学
現象と実在

哲学の歴史を通じて、現象と実在の違いは、常に大きなテーマの1つとして論じられてきた。この違いを、最初期の哲学者たちは思想の中心に据えていた。彼らは、古代ギリシアの哲学者ソクラテス(紀元前470年~紀元前399年)より前の時代に生きていたことから、「ソクラテス以前の哲学者」と呼ばれている。

ソクラテス以前の哲学者たちは、実在するものの根本的な本質は、通常目にしている姿、つまり現象と大きく異なっていると考えていた。

例えば哲学者タレスは、万物の根源は水だと唱えた。ヘラクレイトスは、世界は火からできているし、万物は常に流転すると説いた。他にも思想家パルメニデスは、何物も実際には運動しておらず、運動と見えるものはすべて幻想にすぎないと主張した。

ソクラテス以前の哲学者たちは、普段の無批判的な観察からは誤った世界像しか得られないと疑っていた。そして、実在するものすべてが、もっと根源的な実体でできている可能性を探った。

こうした彼らの思索は、哲学のみならず現代科学の先駆けでもあったと言える。プラトン、スピノザ、ライプニッツなど、後の多くの哲学者たちも、こうした思想の系譜に連なっている。

【アタクシ的ポイント】
実在の探求。それが哲学の始まりであり、もしかすると大いなる勘違いの始まりであったのかもしれない。