スタンダール【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#023】


【1月23日】スタンダール:1783.1.23~1842.3.23

さて、諸君、小説というものは大道に沿うてもち歩かれる鏡のようなものだ。諸君の眼に青空を反映することもあれば、また道の水溜りの泥濘を反映することもあろう。すると諸君は、鏡を背負籠に入れてもって歩く男を破廉恥だといって非難する! 鏡は泥濘を映し出す、そこで諸君はその鏡を非難しようというんだ!

『赤と黒』(下)桑原武夫・生島遼一訳、岩波文庫、1958年

【アタクシ的メモ】
世界はよくも悪くも語られる可能性があるということか。そして、悪く語られたからといって、非難しても仕方がないと言いたいのだろうか。


フランシス・ベーコン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#022】


【1月22日】フランシス・ベーコン:1561.1.22~1626.4.9

ある書物はちょっと味わってみるべきであり、他の書物は呑み込むべきであり、少しばかりの書物がよく噛んで消化すべきものである。すなわち、ある書物はほんの一部だけ読むべきであり、他の書物は読むべきではあるが、念入りにしなくてよく、少しばかりの書物が隅々まで熱心に注意深く読むべきものである。

『ベーコン随想集』渡辺義雄訳、岩波文庫、1983年

【アタクシ的メモ】
書物といっても、内容や深さは様々なので、力の入れ具合を変えるのはもちろんではある。ただ、現代のような情報爆発時代においては、オンラインコンテンツも含め、読むべき書物(テキストコンテンツ)の取捨選択や、力の入れ具合を早めに決定することが重要になってくる。


ジョージ・オーウェル【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#021】


【1月21日】ジョージ・オーウェル:1903.6.25~1950.1.21

ナショナリストの考え方の中には、真実なのに嘘、知っているのに知らないことになっているという事実が、いろいろある。知っている事実でも、認めるのに耐えられないというので脇へ押しのけられたまま、意識的に論理的思考から外されてしまうことがあるかと思えば、綿密に検討されたにもかかわらず、自分一人の心の中でさえ、事実であることをぜったいに認めないといったことが起こるのだ。(「ナショナリズムについて」)

『オーウェル評論集』小野寺健編訳、岩波文庫、1928年

【アタクシ的メモ】
これが事実であれば、ナショナリストとは対話できないことになる。当たり前だが、互いに話し合うには、共通理解がなければ、ずっとボタンは掛け違えたままだからだ。


フランクリン・ルーズヴェルト【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#020】


【1月20日】フランクリン・ルーズヴェルト:1882.1.30~1945.4.12

われわれは、独りで安らかに生きることができないこと、われわれ自身の幸福が遠い他の国々の幸福に係っていることを学んだ。われわれは、砂に頭をうずめたダチョウや飼葉桶の中の犬としてではなく、人間として生きねばならぬことを学んだ。われわれは、世界の市民、人類共同体の成員となるべきことを学んだ。(第四回大統領就任演説、1945年1月20日)

『バーレット引用句辞典』所収、編者訳出

【アタクシ的メモ】
1945年の発言のようだが、現在(2023年)にも通ずるような言葉に感じた。ただ逆に言うと、発言後の50年間以上は、この演説とは相いれない政治をしてきたのではないかと思う。


勝海舟【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#019】


【1月19日】勝海舟:1823.1.30~1899.1.19

世の中に無神経ほど強いものはない。あの庭前の蜻蛉(とんぽ)をごらん。尻尾を切って放しても、平気で飛んで行くではないか。おれなどもまあ蜻蛉ぐらいのところで、とても人間の仲間入りはできないかもしれない。むやみに神経を使って、やたらに世間のことを苦に病み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それが為に頭が禿げ鬚(ひげ)が白くなって、まだ年も取らないのに耄碌(もうろく)してしまうというような憂国家とかいうものには、おれなどはとてもなれない。(『氷川清話』)

『日本の名著32勝海舟』中央公論社、1984年

【アタクシ的メモ】
自分を無神経なトンボくらいだと蔑みながら、当時多くいた憂国の士を批判しているようだ。


モンテスキュー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#018】


【1月18日】モンテスキュー:1689.1.18~1755.2.10

国家、すなわち、法律が存在する社会においては、自由とは人が望むべきことをなしうること、そして、望むべきでないことをなすべく強制されないことにのみ存しうる。
独立とはなんであるか、そして、自由とはなんであるかを心にとめておかねばならない。自由とは法律の許すすべてをなす権利である。(第二部第11編)

『法の精神』(上)野田良之ほか訳、岩波文庫、1989年

【アタクシ的メモ】
法の下で、自由が認められていることは、普段は気づきづらいことではあるが、やはり十分に感謝すべきことだと思う。


フランクリン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#017】


【1月17日】フランクリン:1706.1.17~1790.4.17

もしもお前の好きなようにしてよいと言われたならば、私はいままでの生涯を初めからそのまま繰り返すことに少しも異存はない。ただし、著述家が初版の間違いを再販で訂正するあの便宜だけは与えてほしいが。

『フランクリン自伝』松本慎一・西川正身訳、岩波文庫、1957年

【アタクシ的メモ】
後悔のない人生を送ってきたということか。ただ、初版の間違いは訂正したいということは、少なからず改善の余地はあるようだ。


清少納言【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#0016】


【1月16日】清少納言:996頃~1025頃

ただ過ぎに過ぐるもの、帆かけたる舟。人の齢。春、夏、秋、冬。
      *
雪は、檜皮葺、いとめでたし。すこし消えがたになりたるほど。また、いと多うも降らぬが、瓦の目のごとに入りて、黒うまろに見えたる、いとをかし。
時雨・霰は、板屋。霜も、板屋。庭。

『枕草子』池田亀鑑校訂、岩波文庫、1962年

【アタクシ的メモ】
ただ過ぎさってゆくもの、人の年齢というのはその通りだと思うが、「いとめでたし、いとをかし」の部分は、あまり共感できないというか、情景も想像しづらい。


徳川家康【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#0015】


【1月15日】徳川家康:1542.12.26~1616.4.17

人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し。いそぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし。こころに望おこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基。いかりは敵とおもへ。勝事ばかりを知りてまくる事をしらざれば、害其身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。
  慶長八年正月十五日     家康

「東照宮遺訓」編者校訂

【アタクシ的メモ】
確かにその通りと思うことばかりで納得させられる。個人的に一番印象に残ったのは、「不自由を常とおもへば不足なし」である。


マルティン・ニーメラー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#014】


【1月14日】マルティン・ニーメラー:1892.1.14~1984.3.6

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した――しかし、それは遅すぎた。

ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた』(田中浩・金井和子訳、未来社、1983年)

【アタクシ的メモ】
当時、ナチ党が段階を追って社会を変容させていたようだが、それを感じながらも、対応が「遅すぎた」というのが残念に思える。