ジョイス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#0013】


【1月13日】ジョイス:1882.2.2~1941.1.13

雪は、また、マイケル・フェアリーが埋もれている丘の上の淋しい教会墓地のいたるところに降っている。雪はゆがんだ十字架や墓石の上に、小さな門の穂先の上に、不毛ないばらの上に、深々と降り積もっている。彼の魂は雪の降る音を耳にしながら、しだいに知覚を失っていった。雪が、かすかな音を立てて宇宙に降り、最後の時の到来のように、かすかな音を立てて、すべての生者たちと死者たちの上に降りそそぐのを耳にしながら。(「死者たち」)

『ダブリンの市民』高松雄一訳、集英社、1999年

【アタクシ的メモ】
雪は、分け隔てなくあらゆるところに降り積り、そして生者に対しても、死者に対しても降るのだった。


アガサ・クリスティ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#0012】


【1月12日】アガサ・クリスティ:1890.9.15~1976.1.12

会話において、何かをかくしているものほど、危険なものはないよ! あるフランスの老賢人が私にいったことがある。話というものは、考えることを妨げるための、発明だ、とね。そしてまた、人がかくそうと思っていることを発見するための、誤りのない方法でもあるわけだ。人間というものはだな、ヘイスティング、自分自身をあらわし、その個性を表現するために、会話が与えてくれる機会には、抗し得ないものだよ。

『ABC殺人事件』堀田善衛訳(『世界名作推理小説体系』9、東京創元社、1960年

【アタクシ的メモ】
人は、会話すると考えなくなる。会話は、隠し事を発見する方法。会話は自分の個性を示すための格好の機会ということか。だとすると、「会話において何かをかくす」ということは、非会話的な精神状態なのだろう。ちょっと当たり前すぎる言説にも思えるが…。


ウィリアム・ジェームズ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#011】


【1月11日】ウィリアム・ジェームズ:1842.1.11~1910.8.26

うじ虫には明瞭な自我の観念も宇宙の観念もないけれども、踏みつけられたうじ虫でさえも、苦しんでいる自分を彼以外の全宇宙と対立させる。虫は私にとっては単に世界の一部分に過ぎないが、虫にとっては私が世界の一部分に過ぎない。われわれはすべて全宇宙を異なる場所において二つに分割しているのである。

『心理学』(上)今田寛訳、岩波文庫、1992年

【アタクシ的メモ】
自意識があってもなくても、主観と客観が成り立つと言いたいのかな。真意は読み取れず。


ブーアスティン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#010】


【1月10日】ブーアスティン:1914.1.10~2004.2.25

世の中に事件がなにも起きていない、ニュース取材者たちは眠っている、あるいは競争相手のニュース取材者たちのほうがもっと機敏である、といった印象を人々に与えないためには、どうしたらよいか? 印刷や放送の経費が増大するにつれて、輪転機をいつも動かし、テレビをいつも放送していることが財政的に必要になった。疑似イベントを製造しなければならない必要は、いっそう強くなった。かくしてニュースの取材は、ニュースの製造へと変化したのである。

『幻影の時代、マスコミが製造する事実』後藤和彦・星野郁美訳、東京創元社、1964年

【アタクシ的メモ】
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及によって、個々人の情報発信でも起きているのではないか。社会全体で情報量が増えれば増えるほど、ほかの情報に埋もれないよう、自分の情報を増やし、差異化して、強いインパクトを求めるようになるのだ。


ボーヴォワール【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#009】


【1月9日】ボーヴォワール:1908.1.9~1986.4.14

人は女に生まれるのではない、女になるのだ。社会において人間の雌がとっている形態を定めているは生理的宿命、心理的宿命、経済的宿命のどれでもない。文明全体が、男と去勢者の中間物、つまり女と呼ばれるものを作りあげるのである。

『決定版 第二の性II 体験』中嶋公子・加藤康子監訳、新潮社、1997年

【アタクシ的メモ】
「女」を一般名詞ととらえると、「男」「中年」「子ども」といった属性を示す一般名詞も、やはり文明全体からつくりあげられていると思う。


ホーキング【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#008】


【1月8日】ホーキング:1942.1.8~2018.3.14

宇宙にはじまりがあるかぎり、宇宙には創造主がいると想定することができる。だがもし、宇宙が本当にまったく自己完結的であり、境界や縁をもたないとすれば、はじまりも終わりもないことになる。宇宙はただ単に存在するのである。だとすると、創造主の出番はどこにあるのだろう。

『ホーキング 宇宙を語る』林一訳、早川書房、1989年

【アタクシ的メモ】
この文章だけでは、「自己完結的」の意味が不明瞭だが、「境界や縁をもたない」は空間の話しであり、はじまりと終わりを時間軸でとらえると、やや詭弁にも聞こえる。創造主(=神)を殺したいだけではないか。


岡本太郎【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#007】


【1月7日】岡本太郎:1911.2.26~1996.1.7

いつも読書しながら、一種の絶望感をおぼえる。確かに面白い。対決もある。だが目と頭だけの格闘はやはり空しい。人生はまたたく間もないほど短いのである。ハイデッガー、ヤスパース、サルトルにしても、実存を説きながら、なんであのようにながながと証明しなければならないのか。その間に絶対の時間が失われてしまう。サルトルに言ったことがある。「あなたの説には共感するが、あのびっしりと息もつまるほど組み込まれた活字のボリューム。あれを読んでいる間、いったい人は実存しているだろうか。」彼は奇妙な顔をして私を見かえした。
私はいま生きているこの瞬間、全空間に向かって、八方に精神と肉体を飛び散らしたい。(「思想とアクション」)

『エッセイの贈り物』2、岩波書店、1999年

【アタクシ的メモ】
岡本太郎らしい言葉。目と頭だけの格闘ではなく、精神と肉体を飛び散らす――。こんな発言を聞くだけで、パワーとワクワク感をもらえるから不思議である。


良寛【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#006】


【1月6日】良寛:1758~1831.1.6

冬ごもり 春さりくれば 飯乞(いいこ)ふと 草のいほりを 立ち出でで 里に行けば たまほこの 道のちまたに 子どもらが 今を春べと 手まりつく ひふみよいなむ 汝(な)がつけば 吾(あ)はうたひ あがつけば なはうたひ つきてうたひて 霞立つ 長き春日を 暮らしつるかも(「手まり」)

唐木順三『良寛』(『日本詩人選』20、筑摩書店、1971年より)

【メモ】
春の到来と、子どもたちが手まりで遊ぶ様子をリンクさせている。何とも優しい視線が感じられる。良寛は江戸末期、越後の出雲崎町の名家に生まれるも、世の中が政治経済上の争いが絶えず、そうした世情を悲観して、出家したようだ。

【関連リンク】
良寛 – Wikipedia


ウンベルト・エーコ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#005】


【1月5日】ウンベルト・エーコ:1932.1.5~2016.2.19

書物はしばしば別の書物のことを物語る。一巻の無害な書物がしばしば一個の種子に似て、危険な書物の花を咲かせてみたり、あるいは逆に、苦い根に甘い実をうれさせたりする。

『薔薇の名前』(下)川島英昭訳、東京創元社、1990年

【メモ】
書物のメッセージや何らかの考えが、ほかの書物に影響するというのは、その通りだと思う。それが今は、インターネットやソーシャルメディアを通じて、行われているのではないだろうか。ただし、誰でも参加できるという点で、「書物」といったある意味アカデミックな成果ではなく、やや質が下がったというか、庶民的になっているように思うが。

【関連リンク】
薔薇の名前 – Wikipedia


カミュ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#004】


【1月4日】
カミュ:1913.11.7~1960.1.4

不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性で割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。不条理は人間と世界と、この両者から発するものなのだ。いまのところ、この両者を結ぶ唯一の絆、不条理とはそれである。

『シーシュポスの神話』清水徹訳、新潮文庫、1969年

【メモ】
確かに不条理とは、人間理性での正しさや事実と、世界の現実や在りようとのギャップによるものなので、人間や世界の存在、それぞれだけでは成り立たないと思う。ただ、よく読むと、人間と世界は不条理にしか存在しえないと言いたいのだろうか。