なぜ小説を読むのか。もちろん、理由は人それぞれではあろうが、私にとっては物語の中に居合わせるため。小説で描かれる舞台が奇想天外な世界であれ、時代や国が違っていたとしても、その中で呼吸したいと思っている。遠くからスクリーン上に映る誰かの営みを眺めることではないのだ。
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留守がちな目的【1000のカスタネット#0007】
目的は、得てして不明確になりがちだ。ある目的のために始めた行動であっても、行動自体が目的化されてしまい、そもそものきっかけや行き先があいまいになってしまうからだろうか。
目的を見失わない姿は、いつも根拠を求める哲学的探求に似ているかもしれない。事象たらしめる源泉にさかのぼり続け、現象の根本原因を見出そうとしているからだ。
子どもたちの思考【1000のカスタネット#0006】
子どもたちの思考の連続は、われわれの常識に捉われていない。
その瞬間に思い着いたこと、気になることに着目し、次から次へと口に出していく。悪く言えば、五月雨で非論理的な思惟の連なりである。
だがかえって、その方が、聞かされる側も興味をそそられる。どうして思い着いたのか、どんな理由で気にしているのか。なぜ彼女は、オナラした人を特定しなければ気がすまないのか。
逆から言えば、常識的な思考は慣れ親しんでいるがゆえに、その動機付けに無頓着になるのかもしれない。
世界の形を変える【1000のカスタネット#0005】
「世界の形を決定的に変える」とは、どのような事態、状況なのだろう。例えば、ずっと雨が降り続いてしまい、あらゆる場所が水没してしまったら、世界の形は変わったといえるのだろうか。
現象が変化したことで、様子は変わるのかもしれない。生活形態や暮らし方に、大きな影響を与えるかもしれない。
しかし、それが私たちの生きる世界の形を変えたことになるのだろうか。むしろ、外的な環境の変化よりも一人ひとりの視点が変わる方が、世界を変える可能性が高いように思う。
ストーリーとメッセージ【1000のカスタネット#0004】
ストーリーとメッセージ。どちらが重要なのか。もちろん、どちらも重要、大切で、優劣はつけがたいのかもしれない。
しかし、優れたストーリーテリングによって、そのコンテンツにぐいぐいと引き込まれ、没入していっても、メッセージが残らなければ、消費されたに過ぎないのではないか。興奮した体験は、時間の経過とともに忘れ去られるのではないか。であれば、メッセージの伝達を目的としたストーリー構築が必要になるだろう。
存在と生成【1000のカスタネット#0003】
「小さな変化」
落ち続ける葉。大きな樹から、絶えることなく落ちる葉。いくつも、いくつもの葉が落ちる。しかし、私はその樹の変化に盲目でしかない。
初出:https://kazuhiq.com/19941201/chiisanahenka/ (1994年12月1日)
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「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と、鴨長明が言った通り、世界はいつも変化している。人間もある瞬間と別の瞬間を比べたら、何らかの違いがあり、絶えず変わっている存在だ。だが多くの場合、小さな変化には気づかず、ほとんど何も変わっていないように感じられる。
存在者の「存在」は、本来「生成」が切り離せないものであるだろうが、我々はその点に注意を払っていないのではないか。
無知のつぶやき【1000のカスタネット#0002】
「世界が終わるとき」
世界の終わりがきたら
きみはどうする?
ぼくは、タマゴを割ってみるね
生タマゴかゆでタマゴかわからないから
初出:https://kazuhiq.com/19960903/sekaigaowarutoki/ (1996年9月3日)
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自分は最後まで、知ろうとする人でありたいと思っている。
『ユリシーズ』【原稿用紙一枚の教養#0002】
※『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』の各ページを400字程度で要約しています。
第1週第2日(火)
2文学
『ユリシーズ』
ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(1922年)は、20世紀に英語で書かれた中で最高峰の小説である。ホメロスの『オデュッセイア』を、アイルランドの都市ダブリンでのある一日(1904年6月16日)の出来事として作り変えたものだ。
主人公は、レオポルド・ブルームという中年の広告セールスマン。出会う人たちのほぼすべてに寛容さと度量の広さを示し、何気ない日々の雑事を通して、日常的ヒロイズムを実践している。
この作品は、「登場人物を丹念に描写している点」「他の文学作品や芸術作品に、それとなく触れている点」「言葉を斬新に使っている点」で有名だ。その中でも特によく知られているのは、意識の流れをそのまま叙述する技法だろう。
ジョイスは、登場人物が心の中で思ったことを、順序づけたり整理したりせず、そのままの形で提示した。この技法はヴァージニア・ウルフやウィリアム・フォークナーなど多数の作家たちに影響を与える。
最終章では、ブルームの妻モリーの心のうちがつづられる。あてどなく延々と続くモリーの思いは2万4000語を超え、それがわずか八つの長大な文で区切られている。
【アタクシ的ポイント】
体系立てたり、整理しないことは、現在もある意味新規性であり続けており、その端緒はほぼ100年前に始まっていたことになる。
言語化によって締め出されるモノ【1000のカスタネット#0001】
「こぼれ落ちるもの」
こぼれ落ちるもの、その流れすべる姿を心にとめる。それなくして、何も語ることはできない。
ただ話す、そのなめらかさ、その誇らしさ、その上昇気流に気持ちをとられ、見誤ってはいけない。その病気に侵されたものは、決して何も見ていない。
盲目なのだ。その自らに気づかぬもの、それが覆い尽くす瞬間、瞬間が、毒ガスの様に憂鬱な空気を這いつくばらせる。
初出:https://kazuhiq.com/19941105/koboreochiru/ (1994年11月5日)
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データとして残っていて、自分が書いた最も古いテキスト。今読むと、正直何を言おうとしていたのか正確なところは分からない。ただ、語ることで、言葉にすることで、その言語化から必ず締め出されるものがあると言いたかったのではないだろうか。
アルファベット【原稿用紙一枚の教養#0001】
※『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』の各ページを400字程度で要約しています。
第1週第1日(月)
1歴史
アルファベット
紀元前2000年ころ、古代エジプトのファラオたちは、奴隷たちに文書で命令を伝えることができず悩んでいた。奴隷たちは、エジプトの文字ヒエログリフ(神聖文字)が読めなかったからだ。
太古の文字体系は、どれもたいへん面倒で覚えるのが難しかった。文字が何千個もあって、覚えるのに長い時間がかかる。実際、エジプト人でもこの複雑な文字体系を読み書きできたのは、ほんの一握りしかいなかった。
そこで、ヒエログリフの簡略版を作り、これが今に伝わる多種多様なアルファベットの起源になったと考えられる。ヒエログリフの簡略版では、ひとつの文字が表すのは音だけだ。このため、文字の数は数千個から数十個にまで減り、文字を覚えて使うのが、はるかに楽になった。
アルファベットは近東に広まり、ヘブラ文字やアラビア文字など、この地域のさまざまな文字体系の基礎になった。一方、海洋交易民族フェニキア人は、地中海沿岸で出会った人々にアルファベットを伝えた。この古代フェニキア文字がギリシア文字とラテン文字になり、現在では、西洋の言語は英語も含め、ほとんどがラテン文字を使っている。
【アタクシ的ポイント】
複雑で難しいものは特権性を担保しやすいが、普遍性を獲得するにはシンプルであることが重要。