打ち合わせの不思議


打ち合わせというのは不思議なもので、意味があるものとないものではっきりと分かれると思う。

もちろん、意味ある打ち合わせだけが飛び切りの成果を生み出せると言うつもりははい。「大いに意味があった」と感じたとしても、色々な課題が残り、疑問モンモンで、この先のことを想像するだけでうんざりすることも少なくないからだ。

それでもやはり、「意味がない」と感じるものとは参加者として心持ちが大いに違う。今日の打ち合わせは色々と課題やできていないことがたくさん見つかったものの、かえって清々しい気分になったし、私自身が感じている違和感も共有できて、むしろ何だかホッとした印象である。

打ち合わせている提案が、仕事や儲けるためのものではないということもあるだろうが、メンバーの心構えというか、姿勢が大きいのではないだろうか。互いの関係性で事を決めようとしていなかったり、自分の考えや功績を優先させようとしてないかったり、いくつか要因があるように思う。

ただ、「こうすれば必ず意味ある打ち合わせになるよ」とは言いづらいのが本心だ。たった一つ、あるいは限られた正解に絞り込めないのがコミュニケーションの難しさであり、不思議さでもある。


「飛んで火に入る」ものは何なのか?


企画提案やプランニングをしていて、どうしても陥りやすいのが「アイデア勝負」。周りの人や受け手もそこしか評価しないので、日々の業務という点で言うと仕方ない部分もあるが、やはりできるだけ控えたいと考えている。

ブレストしていても「割引」とか「無料」とか値段に関するものが出ると、結構多くの人が「安くなると多くの人に訴求できる」と判断しがちだ。でもこれってコミュニケーションではなく、金勘定に話がすり替わっていないか。どうすれば共感してくれるのか、何に心を動かしてくれるのかをを問わずに、伝える相手の財布の中身を覗きに行っても、ストーリーテリングにはつながらないと思う。

ただ、この違和感を理解してもらうのは結構難しい。色々なところでそんな経験をしてきた。すごく分かりやすい例で言えば、「タイトルに“無料”って入れたら、クリック率上がりますよね」といった発言をされたときだ。

確かにCTRに影響あるかもしれないが、最終的にコンバージョン率は上がらないというようなその後のユーザーの行動を想像してもらいづらいのである。「人の頬を札束で叩く」という表現があるが、人は何によって動き、感動するのか、プランニングする人は少し冷静に考える必要があるだろう。

ちょっと「アイデア勝負」とは話しが離れてしまったようだが、キラキラしたものに群がるのは夏の虫に任せた方がヨイと思っている。


「さよなら、BOOM BOOM SATELLITES」とは言いたくない


朝、目が覚めてFacebookを見ていたら、流れてきたのが次のBOOM BOOM SATELLITESの投稿「■posted by nakano 2016.5.31」だった。割と気軽に見に行ったが、ボーカル&ギターの川島道行さんの現状を知って、非常に哀しい気持ちになった。

BOOM BOOM SATELLITESについては、きちっとチェックしているほどではなかったものの、フジロックに出演しているときは、必ず見に行っていたし、自分としては珍しくDVDなんかも購入していた。クールだけど情熱的で、何より体がムズムズして踊り出したくなる鋭い音がとても魅力的なユニットだった。

改めて確認してみると、2015年のフジロック、ホワイトステージに出演していた。もちろん私は、このステージを見たのだけど、確かにその時の川島さんが、何だか心ここにあらずな感じもしていて、勝手に心配していた。ただ、当時は病気は大丈夫という報道がされていたので、自分はその情報を信じようとしていた。「きっと大丈夫なはずだ」と。

もうBOOM BOOM SATELLITESは終わるのかと思うと、やはり感傷的な気分になる。自分たちの意志で解散などするのであれば、割り切りがつくのだけど、病気が原因で、少なくとも川島さんの立場からすると、音楽が奪われてしまったのだろうから。


きょう、たんじょうびのひろかずさんへ


 ひろかずさんが生(う)まれるまえ、パパとママは神(かみ)さまにちかいを立(た)て、けっこん式(しき)をあげたのが出雲大社(いづもたいしゃ)です。まくはりのじいじとばあば、パパのおにいさん、ながののじいじとばあばにあつまってきてもらいました。とてもおちついた気(き)もちになり、「これから家族(がぞく)としてがんばっていくぞ」とかんがえたのをおぼえています。

 出雲大社(いづもたいしゃ)は、いま住(す)んでいる川崎(かわさき)よりずっと西(にし)のほう、しまね県(けん)にあって「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」をおまつりするおやしろです。なので、ひろかずさんの名前(なまえ)に、出雲大社(いづもたいしゃ)にいる神(かみ)さまの名前(なまえ)の「大」をいただきました。その一字(いちじ)とパパの名前(なまえ)の一字(いちじ) 「和」で、「大和(ひろかず)」と名(な)づけたのです。

 いつも神(かみ)さまといっしょにいて、守(まも)ってもらいたいという気(き)もちもありますが、大(おお)きな平和(へいわ)をもたらす人(ひと)になってほしいというパパやママのねがいもこめました。外国(がいこく)のおともだちができたら、「ビッグピース」とよんでもらえたらいいな、とも思(おも)っています。

 ひろかずさん、たんじょうびおめでとうございます。ちほちゃんをかわいがるステキなおにいさんになってくれて、パパもママもうれしくかんじています。これからも家族(かぞく)4人(にん)、がんばっていきましょう。


元旦らしからぬ


 どうしてか5分くらいの時間を利用して、ビルの下にある本屋に向かった自分。お目当ての書籍は、表紙が傷んでいて買う気になれず。急いで会社があるフロアに戻ろうとするが、エレベータがすっと上らず、時間ばかりが過ぎていく。「ああ、何て運や段取りが悪いんだろう。会社から文句言われる」と思ったところで、目が覚めた。どうやら夢、しかもこれが2016年の初夢だったようだ。

 自分が乗ったエレベータが順調に上らず、もたもたして四苦八苦するという夢は、シチュエーションの違いもあるものの、年に数回くらい見ているのではないだろうか。私の夢は、基本的に後味が悪いものが大半である。

 午後には、チャーちゃんを寝かせたいこともあり、ピロさんと二人で散歩に出かける。元旦から天気もよく、ピロさんとも仲良く過ごせた。公園に行くつもりが、何とはなしにブックオフに行って、中古のおもちゃを買ってしまった。あまり正月らしからぬ一日であった。


世界が終わるとき


世界の終わりがきたら
きみはどうする?

ぼくは、タマゴを割ってみるね
生タマゴかゆでタマゴかわからないから

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小さな変化


落ち続ける葉。大きな樹から、絶えることなく落ちる葉。いくつも、いくつもの葉が落ちる。しかし、私はその樹の変化に盲目でしかない。

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他者が在る


他者が在る。自己とは、別なるもの。その命をその命として、生きる。その経験をせずに、他者は理解できない。

自己のコピー、浮遊した感触、それらは理解の妨げにしかならない。むしろ、ねじ曲げられた断定への入口なのだ。