【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vol.128「こどもとフジロック」という記事を読んだ。“こどもフジロック”のメンバーであるお母さんが、ご自身のお子さん(5歳の男の子)とこれまでどんな風に苗場に来ていたか、今回の延期をどのようにとらえているかなどが、ある意味思いつくままに書かれている。
エッセーらしく、話は割とあちこちに広がっているし、アタクシ家と状況や環境は同じでないものの、共感する部分が多かった。抜き出して引用すると、次のような箇所である。
そして彼の一連の言動を違う側面から見ると、自分が好いと捉えているものを我が子にしかと伝承できていることを実感できるものでもあるので、親としても、人生の先輩としても、これ以上の喜びはない。
こどもを<フジロック>に連れていくことに対して批判的に見ている人もいるようだけれど、他の数千にも上るファミリー同様、私たち親子も<フジロック>という年に一度しかないスペシャルな3、4日間を、音楽と自然が溢れる非日常的な空間に身を置き、他では体験できない家族の思い出を積み重ねて大きく育んできた。
保育界を代表するりんごの木こどもクラブ代表の柴田愛子さんの「親が自分を失ってしまうことほど怖いことはない。自分の好きなことを失わないほうがいい」という言葉には仕事を忘れて涙がこぼれるほど勇気づけられたりもした。
子どもの成長は早い上、今回のコロナ禍のような疫病などのせいでライフワークとして大切に捉えている文化的な活動を一気に失うこともあると知ってしまった以上、「いつかやろう」はナシにして、やりたいことは実行できるときにやっておくべきだと改めて肝に銘じた春となった。
アタクシ家の子どもたちは、彼女のお子さんほど音楽を聴いてくれないので、その辺りはとってもうらやましい。
ただ、こうして改めて各家庭の事情を聞くと、当たり前だけどそれぞれの家族に、それぞれのフジロックがあるのだなと思わずにはおれない。そして、それはそれぞれの家族にとって、掛け替えのないスペシャルな体験なのである。