のじゅく【野宿】


オートバイでニ週間くらいの長い旅に出ると、寝泊りの大半は、決まって野宿になりました。特に学生の頃は、自分の自由になるお金は少なかったので、数泊のツーリングだったとしても、テントを張って宿泊費を浮かすことがほとんどでした。

宿泊代は無料だったり、キャンプ場みたいなところでも、無料に近いお金しか必要なかったりするので、懐のさびしい私には大変助かりました。この浮いたお金で、楽しい旅の日数を少しでも長くできるわけです。

特にバイクでの野宿だと、タンクの上や後部座席にラクダみたいに荷物を載せたとしても、着替えなどの必須なもの以外、大したものを持っていくことはできません。そうなると必然的に、テントでの寝泊りもシンプルなものになってしまいます。

当たり前ですが、テレビもなければ、冷蔵庫もなく、明るい蛍光灯もありません。あるのは、寝袋と自分の身一つなわけで、周りが暗くなってくれば、目を閉じて静かに眠るだけでした。そして、自然が目覚まし時計となり、日の出とともにまた走り出すのです。

正直に言ってしまえば、大変不便ですし、お世辞にも快適ではありません。宿泊する場所のそばにお風呂がなければ入浴もできませんし、コンビニエンスストアなども無くて、食べ物に困ることもありました。

でも、悪いことばかりではないのです。その1つに、今までの普通の生活がいかにありがたいものかを知ることができました。雨風をしのげ、布団の上で眠れることが、どれだけ恵まれているかを。日々暮らしていると、すべてが当たり前のように思え、むしろ不満を持っていたことが恥ずかしくなってくるほどです。

そしてもう1つは、野宿をしたからこそ、多くの人と接することができたのです。テントを張っていたりすると、見知らぬ人から「よくやるねえ」などと声をかけられ、短い時間ですが話が出来たりもするのです。

一度は、鹿児島県の串木野で野宿ポイントを探していた際、たまたま「この辺りに公園などないですか?」と聞いた地元の方に「公園は虫も多いから、家に来なよ」と言ってもらい、突然一泊させて頂いたこともありました。お風呂にも入れさせてもらい、ビールや九州ならではの焼酎も頂戴しました。朝食のときには、黒砂糖を勧められました。これもまた、九州の日常生活なのだろうなあと感激したものです。

その方とはひょんなことからの出会いでしたが、その後お礼をしたり何度かやり取りをし、十年くらい経つ今でも年賀状の交換をしています。それは、私にとって昔の旅のちょっとした勲章みたいになっています。

野を宿とするのは、先に述べたように不便や辛いことも数多くあります。でも、普段の生活では決して見つけることができなかったことを気づかせ、人との偶然な出会いを呼ぶ意外な効用ももたらしてくれたのでした。

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ねまわし【根回し】


「根回し」という言葉を聞いて、あまりよい印象を受けない方が多いかもしれません。何だか悪さを行おうとしているように感じる方もいるでしょう。どうもこのことばには、ちょっと汚いイメージがまとわりついているようです。

かくいう私も社会人になる前は、「根回しとは、悪い大人のする薄汚れた行為だ」と考えておりました。表で出来ない話を陰でこっそりし、時には金銭の授受などもともない、仕事をまっとうに行わないためのものだ、と子供心に妄想をたくましくしていたのです。自分は、「社会に出てもきっと根回しをするもんか」とも思っていました。

ところが、実際に社会へ出て働き始めてみると、いわゆる根回しがむしろ必要であることを知りました。幾分極端な表現かもしれませんが、社会で、よりよく、スムーズに仕事をしようとすれば、根回しは切っても切れないものだと思うのです。

もちろん、私が幼い頃に抱いていた誤解のような、ダークな根回しや、法に触れる根回しも世間を見渡せば、少なからず存在するのだとは思いますが、ほとんど多くの根回しは、より実務的で、もっと肯定的なものだと思います。

と言うのも、仕事では「報・連・相」が大変に大事だと言われます。仕事を日々行う上では、上司や同僚、関係者への報告、連絡、相談が必要だということです。そういった面から言うと、根回しとは事前の連絡や相談だと言えるではないでしょうか。

どんなえらい人だとしても、会社などで業務をしようとすると、周りの人や関係会社の人たちと協力しながら仕事をしなければなりません。その時、周囲の関係者に全く何の連絡や相談もなければ、うまく仕事は運びませんし、気持ちの面でも一緒にがんばろうという意欲が薄れてしまうでしょう。

逆に根回しをしっかりすれば、単なる事前連絡にとどまらず、関係各所から業務に対する知恵やノウハウを聞くことができるかもしれませんし、留意する事柄や注意する点をきちんと発見しやすくなるかもしれません。三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもので、他人の意見をあわせることで、より十全で質の高い業務遂行が可能になるのではないでしょうか。

全部の業務をたった一人で、かつ完璧に行えるようなスーパーマンであれば、根回しなどしなくてもよいのかもしれません。でも、そんな超人はこの世に存在しないと思いますから、やはり根回しをすることは必須のことだと思うのです。

あらためて辞書をひいてみますと、「実りをよくしたり移植に備えたりするために木のまわりを掘って、一部の根を切りとること」が、根回しの一義的な意味のようです。根回しとは、元々実りをよくするためにしたことだったのですね。どうやら、その本来の意味は、仕事を行う際にもぴったりと当てはまっているのではないでしょうか。