あまい【甘い】


「『うまい』の語源は『甘い』がなまったものだ」と国語の時間で教わったとき、幼い私はびっくりしてしまったことを、今でも覚えています。なぜなら、甘い食べ物は、私の身近にあり、味覚の中の1つだとしか思っていなかったからでした。

私は甘いお菓子なども好きなくちなので、シュークリームなども大好きでした。ですから、甘いものをおいしいとは思いましたが、その他の味ももちろんおいしいと感じていましたので、「甘い」ものだけが「うまい」わけではないのではないか、と幼心に思ったわけです。

しかし、平安時代の頃、世の中に甘い食べ物はほとんど存在しないくらい貴重で、都に住んでいる貴族のような、ごく一部の高い身分の人だけが甘いものを口できました。つまり、甘いものを食べることは、大変に特別な体験だったから、「甘い」ものこそが「うまい」へと変化しえたようです。

ところが、現在においては、甘いものはとても当たり前になっています。例えば、会社のデスクの引出しには、チョコレートなどの甘いものが、少なからず入っていたりするでしょうし、家の冷蔵庫の中にも、プリンやケーキがあったりするかもしれません。コンビニに行けば、たくさんの甘いお菓子が並べられており、手軽に購入できますし、自宅の台所に砂糖がない家庭など、ちょっと考えられないほどでしょう。

かつては、特権階級のものだった「うまい」甘さを、今では誰もが享受できるようになったわけです。むしろ、それを通り越してひどく当たり前な、何も珍しくない存在となっているといっても、過言ではないでしょう。

今も飢餓や食料不足に苦しむ国や地域があることを考えると、上述のような日本の状況は、我々が住んでいる国が、非常に恵まれていることを証明してくれます。歴史を振り返ってみれば、戦後すぐのような、日本にとって苦しい時期もあったのでしょうが、高度経済成長後に育った私ぐらいの世代は、何もかもが豊富にある中で暮らしている、大変に恵まれた世代と言えるのでしょう。

そのためでしょうか、私がまだ学校に通っていた小さなころには、よく両親や教師の方々から「おまえたちは、まだまだ甘い。俺たちが、若いときには…」といったような話を、それこそ耳にたこができてしまうほど聞かされたのでした。

しかしながら、確かに我々以降の年代は、彼らが言うように精神的にも肉体的にも、甘いところが少なからずあるのを、全く認めないわけにはいきません。日本はずっと豊かで、電化製品、車、 IT 技術や社会インフラが、私たちの生活をより便利に、より暮らしやすくしてくれているからです。もう我々は、数百メートルだって歩かずにすませてしまいますし、洗濯も洗濯機がほとんど終わらせてくれます。

このように、他国と比べても豊かな国である日本ではありますが、ここ何年かは永遠に続きそうな不況に直面し、未来に対して不安な気持ちを持っています。そして、この不安な時代を、今後担っていかなければいけないのは、私たちのような「甘い」と言われて育ってきた世代なのです。

少しずつ積み重なり、ずっしりと重みをもった不安を、我々の世代がすべて吹き飛ばせるとは思いません。それでも、この「甘い」世代こそが、「うまい」世の中、あるいは「うまい」時代へと、ほんの少しでも、いくらかでも導けたらと考えています。