「フジロックが変えたもの」その5【フジロックGO #0246】


「FUJI ROCK FESTIVAL在宅講座 ~フジロックが変えたもの~ PART2」を読んで、アタクシが感想文を書くのは、今回が最終回だ。お題は、5つ目の「フジロックが変えたもの」。「地域共生 ~地域の人々と一緒になって、地元が誇れるフェスをつくる~」である。

当初フジロック開催には反対意見が大勢だった湯沢町・苗場。SMASH代表 日高正博さんは現地に足繁く通い、地域の人々と交流を深めて「地元なくして俺はやらない!」と強く主張し、ようやく開催に漕ぎ着けたという経緯があったそうです。

そんな反発から始まった苗場でのフジロックだが、現在の状況を地元の方たちがこう語っている。

冬のスキーがメインの苗場に、夏はフジロックという目玉ができたのは地域にとっては大きいことです。5回目ごろには町内の人々のほうから「こうしたらどうだろう」とアイディアが出始めたりしだしました。今はお客様も主催者も地域もプリンスホテルも、みんなで一致団結している感じがします。

本当に最近は、苗場の方たちから迎え入れてもらっている気がする。最初の頃は、何だかお邪魔してスミマセンねえ、というスタンスだったけど、今は苗場に着くと、結構てらいなく「ただいまー」と言える感じなのだ。

これって、苗場の人たちとフジロックが好きな人たちが、コミュニケーションや営みを積み重ねてきたらから、作り出だされたのではないか。それを地域共生と名付けられるかどうかはよくわからないけど、長~い“僕らの物語”が今も続いているのに違いない。次のエピソードなんかは、その証拠だとアタクシには思えるのだった。

なんと開催がない今年も越後湯沢駅ではフジロックグッズがいっぱい飾られて、いつものフジロックの風景になっているのだそう。