例えばインターネットや e メールが、何かの都合で使えなくなったりしたら、大変困ってしまう人は、思いの外多いのではないでしょうか。
少なくとも私などは、毎日インターネットを利用して、仕事に必要な情報を収集したり、プライベートな情報のやり取りにも使用したりしていますから、今、私からインターネットを取り上げられてしまうと、仕事は滞り、生活も暮らしづらくなり、ライフスタイルの大幅な変更を強いられてしまいます。
最近の調査によると、日本でのインターネット人口は、5000万人を超え、普及率も40%以上だそうです。単純に考えても、老若男女問わず大体二人に一人は、インターネットユーザーになるわけです。
これだけインターネットが普及したのには、いくつも理由があると思うのですが、1つの大きな要因に、情報量の豊富さがあると思います。豊富と言うよりも、むしろ過剰と言った方がよいかもしれませんが、それくらい、インターネットには情報があふれています。
試しに自分の会社名を、 Yahoo!やGoogleで検索をしてみると、約5000件のヒットがありました。このヒット件数の全内容を確認しようとすると、どれくらいの時間が必要なのでしょうか。
きっと、1日中パソコンの画面を見ていても、読み終わらないのではないかと思えます。もちろん、その検索結果は、玉石混交と言えるとは思いますが、人間1人で処理できる情報量を大幅に超えていると思われます。
また電子的な情報だけでなく、既存の紙媒体でも既に出版された書籍は、現在手に入るものだけで約70万タイトルにも上り、毎日200冊くらいの新刊が刊行されていると言います。日々、印刷された情報が、すごい勢いで増え続けているわけです。
このような状況ですから、関連するすべての本に目を通し、内容を理解した上で、その中身の良し悪しを判断すること、そこから仕入れた情報を全部頭の中に蓄積し、適宜必要に応じてきれいに提示することは、ほとんど無理と言えるでしょう。しているように見えたとしても、それはすべての情報を網羅しているとは、とても言えないと思います。
「受験」を代表とする学校教育では、教科書を読んで知識を記憶し、それを試験などの場で諳んじられるかどうかばかりを重視されているように感じます。まだまだ、教育とは知識を習得させることで、優秀な人間とは知識を保持し出力できる人と認識されているようです。
もちろん知識や情報を持っていることは、優れた能力と言えるでしょう。しかしながら、先程も申し上げた通り、現代は大量の情報があふれ、しかも速いスピードで膨張しています。これらすべてを1人で把握し、コントロールしようとするのは、人間の限界以上の行為だと思うのです。
少なくとも、益々グローバル化が進み、混沌としているビジネスの現場などでは、何でもわかる人などはいなくなっております。何にでも即答できる人や、ゼネラルな回答ができる人が、今後求められる人材と言えるのでしょうか? 何故なら、そういった人たちは、情報全体をハンドリングしているとは言いがたいからです。
今持っている知識や情報だけで判断する人ではなく、むしろ新しい情報、変更された知識を、必要とあらばいつでも探し出せる人の方が、これからの世界で活躍するように思えます。これまででは考えられなかったほど大きい“情報の山”を目の前にして、そこからいかに有用な情報を抜き出すかという技術や知恵を持った人間です。
それについて詳しい人を知っているといった人脈の広い人や、キーワードをうまく設定できるサイト検索の達人、各書店の得意分野と不得意分野を熟知していて欲しい本を素早く的確に買える人、こういった人たちの方がより重要性を増すのではないでしょうか。「知る」ための方法を知っていること、つまり情報を「知る」のではなく、「探す」ことこそに力点は動いているように思えます。