戦争で殺すのはきょうだいなのか、敵なのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0144】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】非美人/月村了衛 ○
単純化してまとめると、憧れていた人の美しくない姿を見て、それだけが忘れられないという話。それは理解できるのだが、小説にはならないだろうと思った。好意を寄せる理由もそれぼど深さがなかったし、なぜ興がさめてしまったのかも納得はできなかった。エピソードトークでしかなかったかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】きょうだいを殺しに/高良留美子 ○
争いに賛成しているわけではないが、今現在、反戦の詩を読むと、絶対的に反論できない窮屈さがある。こうした詩に、私たらは逆らえなくなっている。正しい主張なのかもしれないが、自由ではないだろう。一方で、「きょうだい」という言葉は「人類みな兄弟」と言わんとしていることは同じなのか。

【論考】すきま/ロラン・バルト △
読めば読むほど、よく分からなくなるというのが、正直な所。すきまとは何なのか、なぜうなぎの料理が語られ、《天ぷら》りが取り上げられるのか。確かに西洋(フランス)と日本は違っている。とは言え、それらの違いを示されただけでは、具体的なメッセージまでたどり着けないのだろう。