今は随分と便利になって、東京から大阪まで新幹線ののぞみに乗ると、 2 時間半で着いてしまいます。300km近い速度で走っていることになり、当たり前ですが、窓から見える景色はあっという間に流れてしまいます。「車窓からの眺めを楽しむ」という感じではありません。
特に東京と大阪を移動するときは、仕事での乗車が多く、景色を見るよりもシートを倒して眠り込んでしまうことがほとんど。東京へ戻ってくるときなどは、業務の目的を終えた達成感も手伝って、冷えたビールを飲んでぐっすりと寝てしまうこともしばしばです。
こうしていつしか、私にとって便利な移動手段は、短時間で移動する意味しかなくなっていました。人一人で実現できないものすごいスピードが、その間の私を、移動だけに集中させてしまうわけです。
ところで私は、散歩というか歩くことが好きで、時間があったり天気のよい休日などは、カメラを片手に手当たり次第歩いたりします。特定の行き先がなくても、何となくこちら側へなどと思い、気ままに歩くわけです。
歩くことももちろん移動の一手段ですが、新幹線などと違い、遅いながらもそのスピードを自分でコントロール可能です。好きな所で立ち止まったり、急に曲がったり、のろのろと歩いたりできます。私は、自分の気に入った建物や景色を見つけると、好きなだけ写真を撮れるのです。
たくさん歩くとやはり疲れてしまいますから、徒歩を嫌がる人は少なくないでしょう。でも、こうしたささやかな幸福感を自分なりに享受できるのは、気持ちにまかせて立ち止まれるからだと思うのです。
先日、京都に銀閣寺を見に行きました。駅からの市バスが便利とのことで、駅前のロータリーに行ったところ、あいにく大変混雑していました。私はバスを待つのを諦め、地元の方から反対されながらも、地下鉄で行けるところまで行き、そこから約4km先の目的地まで歩くことにしました。
市営地下鉄の今出川駅を下りると京都御所があったので、せっかくだからと見物し、その大きさに驚きました。歩いているうちに昼時になったので、鴨川の河川敷のベンチに座り、コンビニ弁当ではありましたが、降り注ぐ太陽の光の下で食事を取りました。
また途中で 、こだわりの品揃えをしている地元の洋服屋さんが目に付きました。そこで、かわいく珍しいプリントのTシャツを買い、ついでにオーナーの方とちょとした洋服談義もできました。
その後も京都大学を見かけたり、「大」の字の送り火のあと見つけたりもし、のんびりと京都の町並みを楽しめました。もちろん写真もたくさん撮りました。
このように私が京都をのんびり観光できたのは、新幹線など速くて便利な乗り物があったからこそではあるのですが、「立ち止まれる移動」は、私に新しい出会いや思いがけない体験を導いてくれます。ですから私はこれからも、ついつい立ち止まってしまうと思うのです。