心と体は別々に存在するのか?【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0155】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】オーランド夫人の恐れ/リディア・デイヴィス ○
犯罪や災害など、危険に対して神経症的に恐れる主人公。最初は、様々な出来事に対処できるように準備する描写があり、自分にも似たところがあると思ていたが、段々と妄想的、病的になり、私とは明らかに異った人物像であった。奇妙な行動を取る夫人を書くことで、何が言いたかったのだろうか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】からだはいれもの/谷川俊太郎 ○
「こころ」と「からだ」とはであるという二元論を前提にした詩だ。それは事実だと思いつつ、それぞれが独立した存在だとは感じない自分もいる。詩の中にも「からだはいれもの」という表現があるが、そこに入るこころは唯一のはずだし、入れ替えられない、互いに影響し合っていることを考慮すれば、ニ元論は違うような気がしてくるのだった。

【論考】意味の疎外/ロラン・バルト △
今回は禅と俳句について。何度か読むが、理解するのがなかなか難しい(毎度のことではあるが)。筆者は、禅の《悟り》は、言語の宙吊り、コードの空白だといい、俳句においては、言語に見切りをつける点が関心事だと語る。日本的なものには、言語やその意味に満たされていないと指摘したいのだろうか。