一人でやり直し


本日は、この2週間ほど注力していた提案の発表の日。それなりに最善をつくして、今日も12時ころにメンバー全員で集まって、最終調整を行った。少々ノリで進めていたところもあるが、最後のまとめを決めて、提案先の店舗で記念撮影を行い資料の最終ページに追加した。

たった2週間とも言えるが、期間中5回も打ち合わせをして進めたので、メンバーそれぞれの考え方や取り組み方は理解できたように思う。もちろん問題点や課題と言えることもあっただろうし、私がやりたいことばかりでもなかったが、お互いに了承しながら作業していたので、大きな後悔はない。十分に貢献できたわけでもないだろうが、やり直そうなどとは思っていない。

夜は現役の方々の打ち上げに混ぜってもらって、自分たちの打ち上げもしてしまう。発表後の講評を受けて、メンバーからは「悔しい」「もう一度やりたい」という発言も多かったが、私自身はある意味必然的な結果であったと考えているし、想定内の評価だった。だからこそ、悔しがるよりも、近々でもう一度自分一人で同じ課題で提案書を作成しようと考えている。


最終課題前日


本日は、寝ても覚めても明日発表する資料のことばかり考えていた。とは言え、日中は仕事も忙しく昼ごはんを食べるのもやっとだったし、たまたま同僚に仕事の相談をされ、思った以上に話しが長引き、最終課題の資料はほとんどつくれなかった。

諸々何とか会社を切り上げて、チームメンバーが集まっている渋谷へ。最後のミーティングにバタバタで向かったため、夕食は打ち合わせをしながらコンビニで買ったサンドイッチであった。寝不足続きで、ちょっと頭を朦朧とさせながらも、明日どんな発表にするかメンバーと一緒に考えた。いくらか遠慮しているのか、そもそもアイデアが出づらいのか、よく分からないまま進んだ感じもあったが、終電前には話し合いを終える。

明日は、昼頃に集まって発表直前の打ち合わせ。時間が残りわずかになったこともあり、自宅に帰ってからファイルを整えたり、文字校正を行ったりした。改めて読み返してみると、一応全員で合意しながら進めているものの、何だかしっくりこない部分もあった。まあ仕方ないのであろう。


最終課題をもう一度


今日も、仕事の後にラボOBの人たちと集まって、最終課題の資料作成を打ち合わせ。4人でチームを組んだが、ミーティングによって来れない人もいるため、なかなか情報共有、理解の平準化が難しい。前回休んだ人が参加すると、どうしても話しを巻き戻したり、違う観点が入って、方向性が変わってしまいがちだからだ。ただ個人的には、自分の最終課題のときの進め方が十分ではなかったと思っていたので、半年前に戻って改めてやり直しているつもりである。

とは言え、毎回「次回までに…」という終わり方で、発表までに数日しかなく、本当に資料が出来上がるのか心配になってきている。伝える人は誰で、どのようなことを、どのように伝えるか、なかなか合意できていないのが問題なのだろう。もちろん、皆が手を抜いているわけでもない。むしろ、互いに様子を見たり、遠慮したりしているせいかもしれないと感じる。残された時間は少ないが、何とかやりきって最後には気持ちよく乾杯で締めくくりたいと思う。


打ち合わせの不思議


打ち合わせというのは不思議なもので、意味があるものとないものではっきりと分かれると思う。

もちろん、意味ある打ち合わせだけが飛び切りの成果を生み出せると言うつもりははい。「大いに意味があった」と感じたとしても、色々な課題が残り、疑問モンモンで、この先のことを想像するだけでうんざりすることも少なくないからだ。

それでもやはり、「意味がない」と感じるものとは参加者として心持ちが大いに違う。今日の打ち合わせは色々と課題やできていないことがたくさん見つかったものの、かえって清々しい気分になったし、私自身が感じている違和感も共有できて、むしろ何だかホッとした印象である。

打ち合わせている提案が、仕事や儲けるためのものではないということもあるだろうが、メンバーの心構えというか、姿勢が大きいのではないだろうか。互いの関係性で事を決めようとしていなかったり、自分の考えや功績を優先させようとしてないかったり、いくつか要因があるように思う。

ただ、「こうすれば必ず意味ある打ち合わせになるよ」とは言いづらいのが本心だ。たった一つ、あるいは限られた正解に絞り込めないのがコミュニケーションの難しさであり、不思議さでもある。


「飛んで火に入る」ものは何なのか?


企画提案やプランニングをしていて、どうしても陥りやすいのが「アイデア勝負」。周りの人や受け手もそこしか評価しないので、日々の業務という点で言うと仕方ない部分もあるが、やはりできるだけ控えたいと考えている。

ブレストしていても「割引」とか「無料」とか値段に関するものが出ると、結構多くの人が「安くなると多くの人に訴求できる」と判断しがちだ。でもこれってコミュニケーションではなく、金勘定に話がすり替わっていないか。どうすれば共感してくれるのか、何に心を動かしてくれるのかをを問わずに、伝える相手の財布の中身を覗きに行っても、ストーリーテリングにはつながらないと思う。

ただ、この違和感を理解してもらうのは結構難しい。色々なところでそんな経験をしてきた。すごく分かりやすい例で言えば、「タイトルに“無料”って入れたら、クリック率上がりますよね」といった発言をされたときだ。

確かにCTRに影響あるかもしれないが、最終的にコンバージョン率は上がらないというようなその後のユーザーの行動を想像してもらいづらいのである。「人の頬を札束で叩く」という表現があるが、人は何によって動き、感動するのか、プランニングする人は少し冷静に考える必要があるだろう。

ちょっと「アイデア勝負」とは話しが離れてしまったようだが、キラキラしたものに群がるのは夏の虫に任せた方がヨイと思っている。


【気になるマーケティング用語】CSV


<意味>
「Creating Shared Value」の略。環境問題や貧富の格差といった社会問題の解決と、企業自身の事業に関する利益や競争力の向上を両立させようとする経営コンセプト。「共通価値の創造」「共益の創造」などと訳される。

企業戦略論の第一人者として知られる、米ハーバード大学教授のマイケル・E・ポーター氏が、ハーバード・ビジネス・レビュー誌の2011年1月・2月合併号に共著で発表した論文『Creating Shared Value』で提唱した。同氏が2006年の論文で言及した「戦略的CSR」を、さらに発展させた考え方である。

<解説>
CSR(企業の社会的責任)との対比で語られることが大半であるが、CSRのように目的を社会貢献に絞るのではなく、CSVでは企業が行う事業にとっても価値を生み出す活動でなければならない。資本主義の内実を変化させながら、利益を生み出していく企業活動とも言える。

企業においては、社会全体の問題を解決しようと努力することで、事業継続に有効な面がある。顧客や取引先など、多くのステークホルダーから評価を受ける上、利益を出し続けることで長期的な事業に育て上げ、企業を支えることにつながるからだ。

そもそもCSRは、企業活動によって生じた社会に対するマイナスの影響を、軽減させることが狙いである。結果として、企業イメージや評判は向上するかもしれないが、必ずしも社会全体をよくするわけではない。そのため、CSRの発想を進展させ、社会貢献と利益の双方を追求する必要性が浮上していた。

厳しい財政状況や突然の大災害、政情不安などから、国家や政府の力が限定的になっている世界の現実もCSV推進の後押しになっている。そうした社会情勢からも、企業は社会問題の解決に向けて、ますます積極的に行動していくことが求められているのだ。

<展望>
特に東日本大震災では、企業が物資や義援金などを単に送るのではなく、長期間にわたる炊き出しや一手間かけた物資提供など、自らの事業に根ざし、成長を見込んだ被災地支援も行われた。これは、社会貢献という“コスト”に事業で稼いだ利益を回すといった考え方から、競争力を磨く投資の場として考えられるようになった現われの1つだろう。

また、CSVは本来企業に適用される概念ではあるが、個人の視点に置き換えた「パーソナルCSV」というコンセプトも、これから広がる可能性がある。具体的には、ニーズのある個人同士を結ぶ相互的なネット上のサービス。「お使い」のようなちょっとした用事を頼みたい人と請け負いたい人を結ぶといったものだ。

こうした動きやサービスは、ソーシャルメディアとも親近性が高く、相性がよいため、今後新たなSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)として展開されることも考えられる。